子どものときは勉強は好きじゃなくて、ひたすら遊びたかった。だから学校での勉強時間はいちばん長く感じた。好きじゃないことをしていると、時間が長く感じるのはなぜだろう
もっと自由なことをしたい
だから早く大人になりたい
中学高校くらいの時は、そう思ってた
けれど、いま気がついた
もうとっくに大人だった
大人になったら自分は、そこそこのお金をもっていて、それに関しては割と自由になった。しかし時間的な自由はあるだろうか
忙しく、暇がない
わたしたちは、どうしてこうなったんだろう
きっと時間どろぼうに、時間がぬすまれているせいだ
***
モモという少女が貧しい村に突然やってきた
彼女には親もいない、住むところもなかった。けれど村の人たちはみんな協力して食べ物を分けてあげたり、家の家具をつくってあげたり、優しかった
モモには何も持っているものはなかったし、あげられるものもなかったけど、あいての話をよく聞くことができた
モモに話を聞いてもらうと不思議と素直になれたり、気持ちが楽になったり、問題が解決できたりで、みんなモモに会いたがった。モモはみんなにとってなくてはならない存在になった
あるとき、街に灰色の男がやってき、今までに消費した無駄な時間とこれから死ぬまでに使える時間を大人たちに教えた
すると、大人たちは急に無駄な時間を消費するのが惜しくなる。すると、無駄をなくして効率よくしようと必死になった。効率よく働き、無駄をなくし、時間を節約する。
それからは、いつも効率に追われ、忙しく働き、無駄になる事は徹底排除。お金こそ稼げたけれど、なんでこんなに忙しいのか。なぜ時間を節約して効率よく働くのか、そのうちに忘れてしまい何年も何年も忙しくしている。
遊ぶ時間ですら無駄のないよう効率よく、キッチリ。時間の無駄もないよう遊びを詰め込んで忙しく
子どもたちは、大人の忙しさの都合で学校という場所に閉じ込められて管理され、外で自由に遊ぶことも許されなくなってしまった
灰色の男たちは人びと時間を奪い、管理することで自分たちの思い通りの世界になってゆく
そして、モモのところにはもう誰も来なくなった
***
モモはこのあとみんなの時間を取り戻すために灰色の男たちと戦うのですが
この話を読んでいる時にふと、これは何だか今の自分たちの状況ではないだろうか?そう思えてしまった。
資本主義という仕組みゆえに成長し続けなければならない。もっと効率よく動き、働く。そして時間を節約し、お金を稼ぐ
人にとって、お金というものは魅力的であり、なくてはならない。
けれども、一度ここで自分自身に立ち返ってみる必要があるんじゃないか?
本当にこのままでいいのだろうか?大切にすべきは、自分であり、時間であり、家族。
大切なこと、モノを置き去りにして私は忙しいしからと放っておいていないか?
この、モモという本を読んで
私自身がお金と時間を引き換えにして、身近で大切なものを失っているのだと思うようになった。
きっといまからでも遅すぎるという事はないでしょう。大切なことのために時間も金も使おう