セザキリョウタです。
日本人は写真が好きなんて言われていますが、一昔前のことかな。
いまでは世界でスマートフォンの普及によって、気軽に写真を撮り
撮った写真はSNS上にアップロードする。見栄えがいい写真はたくさんの「いいね」がついてうれしいものだなーと思う。
先日、東京新聞の記事で気になるものを見ました。
「いいねなんて、いらない」ふかわりょう
記事を引用してみます。(一部抜粋)
カメラを置いて行こうと思ったは、それがあると撮ることに気を取られて、旅を楽しめなくなっていることに気付いたから
(中略)
残せる安心感よりも、残せない緊張感。今を油断したくない。実際、旅の途中にカメラを持って来ればよかったと後悔もしたけれど、撮影しながらの旅よりも深く刻まれたと思います。
「インスタ映え」。もはや日常さえも撮影ベースで動く人が増えました。「映える」かどうかが大きな基準となった今、日常をどう切り取る行為は、後々振り返るためというより、「いいね」を獲得するため。ナイトプールや潮風のないビーチ。日常なのか非日常なのか、「映える」ところへ東奔西走。今を共有したい、報告したいというよりも、「いいね」が欲しい
人の「いいね」よりも自分の「いいね」がひとつあればいい。
SNSアカウントの削除
写真がすきな僕もインスタグラムをやっていますが、2回ほどアカウントを削除していました。
インスタグラムを初めて間もないころは「いいね」はあまり押してもらえません。
しかし段々といいねが増えてきて、いいねをもらいたい気持ちばかりが前に出て写真を撮ることよりも、いいねが欲しいという気持ちになっていたと思います。
写真を撮っても撮ってもインスタにアップロードすることばかりを考えて、写真を撮る意味がよくわからなくなった
この事に気が付いた時、これは何か違うんじゃないかと思ってそのSNSをやめた。
「いいね」を押されたい欲求と、写真を撮って「認められたい」という感情が自分の中でうまくコントロールが出来なくなっていた。
辞めては、また登録して、コントロールできなくてを繰り返し3回目の正直で今回はコントロールがうまくいっているのだと思う。
使い方が難しいなーと思うのは僕だけかな
いいね、との付き合い方
僕は写真も好きだけど本来の自分の目的である旅そのもの自体を楽しんで思い出に残したり、自分の「いいね」をひとつ大事に持っていたいなと思う。僕が思う自分の「いいね」は自分自身が体験すること、感じることができた感情だと思います。自分自身にいいね、と言えればそれが一番良いと思う。
「いいね」について再度考えさせられたなー
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