このところ、本屋に行けばよく目にする論語
この論語の本質は洗脳であるという本を見つけた。
論語とは中国の古典で、孔子という人が発言したとされる言葉を弟子たちが集めて作ったとされる
あの、渋沢栄一も人生の指南書として人生に取り入れていた論語
私も論語を読んでみて、思ったのが
人生の処世術というか、迷ったときは論語を思い出して孔子はこう言ってたな、こうすればいいんだな。そう感じて、素晴らしい書であるなと感じた
ひとつ、論語の内容を参照してみると
“子曰く、学びて時に之を習う。亦説ばしからずや。朋有り遠方自り来たる。亦た楽しからずや。人知らずして慍みず。亦君子ならずや、と。 “(学而第一の一)
一般的な意味としては
「知識を学び、常にそれを実践に移す。何と楽しいことか。また、友人が遠くから訪ねてくれる。これも何と楽しいことか。人に認められなかったとしても少しも気に掛けない。これが本当の君子ではないだろうか」
なるほどいいな、と思う部分もあるわけです
人に認められなくても、気にするな。とか
その通りだとおもう。
ところが、この論語というものは洗脳という面で見ると奴隷的な考えになる恐れがあるというのです
奴隷的とは、皇帝につかえて強制労働させられているような状況でしょうか
現代でいう、社畜のようなイメージが浮かんだ。
「一生社畜でいればいいんだよ、出世など考えず大人しくしていろ」
これが論語の本質的な目的であり
奴隷的な考え方にするための洗脳術だということです
洗脳論語
著者 苫米地英人
苫米地さんの本を何冊か読んだのですが、確かに日本人は奴隷的な考え方に洗脳されているなと理解した
というのも、昔からよく聞く、感じる「出る杭は打たれる」とか「目立つと浮く」「空気を読め」「周りに合わせろ」
前提に皇帝(上のものに仕える)というシステムがあり
民は皇帝のために一生懸命働き、目立たず、ひたすらに。そういう感情で出来ているような気がするし
自分のアタマで考えて行動するってアタマがなく、気が付かない
インターネットやテレビのニュース、新聞など
情報に対し真実であろうという考えで、あまり疑わない
苫米地さんがいうに、洗脳社会であるから
洗脳があるのは当たり前。でも洗脳ありきで物事を考えて洗脳されないように考える事が大事
まさか論語に?洗脳されているかも、、なんて考えた事も無かったし、僕は少なからず、論語に洗脳されていたのかもしれない
本一冊で簡単に考え方を洗脳されてしまうということ
文字や言葉ってすごいのだけれど、論語は洗脳する側からすれば非常に良く出来ているもので素晴らしいという。上に立つ人にはモッテコイなのが論語ってことを理解した。
また、論語をはじめ
あらゆる情報には表向きと、ウラの事情があり
本質はなにか?という事を考え世の中を見る
様々なものが違って見えたり、良い意味で信じていたものが疑わしくなって
真実はなにか?と追及する目を持てるようになる
ただ日々を流れるがままに過ごすのではなく
ひとつの情報に対しても、ウラがあり何かの事情が隠れている
そんな目でいろんなモノを見たら
もっと世の中がオモシロく見えてくるんじゃないかな