ども。セザキです
欲望について、最近よく考えています
限りない欲望
それは、物欲、食欲、性欲
そんな誰しもが当たり前に持っている欲。
ぼくはこの欲たちと今後どう付き合っていこうか
なぜ欲望のことを考えるのかというと、最近あれも欲しい、これも欲しい、時間が欲しいし
お金も欲しい。欲しいものだらけの自分に気がついた。
この欲望って、限りがないんだなあと思うんだ
手に入れても、手に入れても、また新しいものが欲しくなるんだ
お金をたくさん稼いでも稼いでももっと欲しくなる。そんな欲望だらけで
ぼくはこれから幸せに暮らせるだろうか。
生きるために必要な物やお金。
食べるためにの食材
住むために借りる家
生きるための仕事
ぼくは、なるべくいいところに住みたい。美味しい物もたべたい。
そう考えてたどり着いた現状も、生きるための仕事、生活になっている。
何がいけないのか。ぼくの欲望はどこかで満足仕切れていないのだ
ここらで少し見つめ直したい。
ひとつ、枡野俊明さんの本から引用します
自分の家の敷地内に禅の庭をつくってほしい。あるいは別荘に『禅の庭』を設えてほしい。そんな要望が増えてきました。
そういう人たちは、世界的にも名の知れた経営者などいわゆるセレブと称される人たちです。
中略
出来上がった『禅の庭』を見て、彼らは心から感嘆の声を出します。
『なんと素晴らしい空間なのだろう。なんと心が落ち着く風景なのだろう』と。すべてのものを手に入れた彼らが行きついた先とは、『何もないことの心地よさ』だったのでしょう。
『限りなくシンプルに、豊かに暮らす』まえがきより
いかがでしょうか。モノに溢れるこの世界で本当の贅沢は
何もないことなのかもしれない。ぼくはそんな風に自分を受け入れてもいいなと思う
人間が死んでしまった時、持っていた物やお金はあの世には持っていけないんだ。
沢山のモノや金に執着して生きるより、心の豊かさを目指す方が幸せではないか
僕たちの心は、物質的なものでは満足しきれない事って事なんだと思う
最後に残るのは、何にもないところで、そこには欲しかったものが全部あるってことかな。
それを例えるとすれば、きっと山や自然。
山や自然には何にもない。でも、ぼくは全部そこにある気がする
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